【イン・ザ・メガチャーチ】実質ホラーだと思うよこの作品は
イン・ザ・メガチャーチという本を読んだ。
※ 以下、ネタバレを含む内容が記載されています
面白かったんだけど爽やかではない終わり方
400ページくらいある作品であるが、ほぼ一気に読んでしまうくらいには次の展開が気になって手が止まらなくなる一作だった。たいへん面白かった。
自分からすると登場人物は誰も浮かばれていないように見えた。いや、全員浮かばれた (本望と言うべきか) のかもしれない。だけどなんというか、それを浮かばれたと呼ぶのはなんとも救いのない話だとも感じた。ページが残り50ページくらいしか残っていないのに登場人物が誰も浮かばれる予兆がないときには、あーこのペースだと誰も浮かばれねえけど、なんか一発逆転でみんなすっきりさっぱりなハッピーエンドになってくんねえかなー等と思っていた。うむ、ならなかったな……!
読後感はちょっと爽やかとは言い難い。余韻の残る終わり方であると言えば聞こえは良いかもしれない。いや、たいへん面白かったんだけども、読後に頭によぎったのは、結局登場人物は皆パーティーの時間が終わったあとにどうやって暮らしていくんだろうねということ。各々はまた「脳みそを溶かすような」何かを見つけて暮らしていくのかもしれないが、この調子でそればっかり繰り返していたら全員そろって破滅するんじゃないのっていう気もした。
いやしかし、何かハマれるものがあるのはそれだけで幸せだっていうのもね、わかる。たいへんよくわかる。
「推し活」の話だよって聞いてたんだけどこれはホラーだと思うよ
登場人物のすみちゃん (35歳派遣社員女性) は、どっからどう見ても怪しい「真実に気付いちゃった人たちの団体」の一味となっちゃったり、死んだ人の声が聞こえる霊媒師みたいのに大金を注ぎ込んだりしていく。客観的に見ている側からすれば「どうして……」みたいな気持ちになるんだけども、別にすみちゃんはこれじゃなくても良かったんだよなきっと。「なんかみんなでひとつのことに熱中する」ってのが必要で、それやってる間は普段のしみったれた自分ってのを忘れていられるわけで。我に返ったら負けよみたいな感じなのである。
他の登場人物もみんなそうである。しみったれた日常があり、こんなの本当の自分じゃないとなんとなく焦り、自分を使い切るために何でもいいから没頭できそうなものを探す。自分の中で「自分がそれに没頭するにふさわしい理由 (作中では物語と呼んでいたか)」を練り上げて、必然とか運命とかそういう言葉で飾ってみれば、それがどんなに荒唐無稽で支離滅裂でどう見てもやめといたほうがいいような行動だとしても、みな、俺がやらねば誰がやる、俺が世界を救ってやる、という気持ちになっていくんであるな。わかる。たいへんよくわかる。
こうやって神様視点でお話を読んでいたら、「こいつらバッカでー」とも言っていられて娯楽にもなるんだが、まあなんだ、こういう何かに没頭しているときって往々にして自分自身はその荒唐無稽さ、支離滅裂さに気付いてないっていうのがポイントだとも思う。うむ、かく言う自分だって何かそういうものに絶賛没頭しているかもしれない。自分もその浮かばれない登場人物のひとりと一緒かもしれないと思うと、まあなかなか薄ら寒いと感じるところである。怖い。ホラーだ。
でもまあ幸せはひとそれぞれだよね
登場人物のすみちゃんたち (同一の呼び方の女性がふたり出てくる) は、片や親から金をせしめて CD 100枚買ってたり、片や死んだ推しの声を聞くために霊媒師に大金注ぎ込んでたり、なかなかキツイ生き方をしているようにも見える。が、彼女らにとってはそれが「命の燃やし方」なのであって、それを外野から荒唐無稽だなんだっていうのは意味がないことかもしれんね。だって彼女らは実際幸せなんだからね。我に返ったあとに後悔するんじゃないのって思わないでもないけど、そんなことを思っていたら、何も突き抜けることなんてできないとも思う。
「踊る阿呆に見る阿呆」という言葉があるが、彼女らは踊っているんである。踊らなきゃよかったなーってあとから思うかもしれないが、踊ったときの幸福感というか没入感と言うか、まわりとの一体感というかは、踊らなきゃ得られないんであって、そう思うと「見ている側」で一生を終えるのはもったいないよなって思う。みんな、どっかでいっぺんは踊りたいんだ。なんなら踊った回数が多いほど幸福な人生だったと言えるのかもしれない。俺は踊って死にてえぞ。
でもまあね、踊った結果いきなりホームレスみたいになるのもやりすぎだと思うんで、節度を守って、まわりに軽く気を使いながらがいいんじゃないかと思いました。